【共通語が英語であることの意外な弊害】 こんなことが起こってしまう…
皆さん、一度は想像したことがあるのではないでしょうか。
「日本で英語が公用語として使われていれば、こんなに英語で苦労することもなかったのに…」
「日本語が日常的に使われている国が日本以外にもあれば良かったのに…」
そう思ってしまうのも当然かもしれません。
例えば、カナダのバンクーバーで生まれ育てば、英語をネイティブスピーカーとして話せるようになるでしょう。
そうすれば、カナダだけではなく、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの英語圏への旅行や留学において言語で苦労することは全くありません。
さらに言えば、英語圏以外でも英語は活躍するでしょう。
今や世界の英語話者の人口は15億人ともいわれています。
英語を知っていれば、英語圏以外の観光地に行ったときなどでもコミュニケーションが比較的円滑にできるでしょう。
以上のような理由で、日本が英語圏だったら良かったのに、と多くの人が一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
かくいう僕も、一度だけではなく、何度もそんな状況を羨ましいと思ったことがあります。
しかし、実際にカナダに来て英語を使っていると自分の母国語が他の国でも使われているという状態の弊害を感じました。
ではどんな弊害がある?
まず、一番最初に思いつく弊害は文化の損失でしょう。
現在、イギリス以外で英語を使っているのは、ほとんどがイギリスを中心とした他の英語圏の国に侵略された国です。
つまり、侵略される以前に使われていた言語はどんどん失われてしまうということです。
しかし実はそれ以外にも、もっと身近で意外な弊害があるのです。
それは、情報が自国のものか分からないという事です。
最初にその弊害に気づいたのは、カナダの保守党(Conservative Party)についてのリサーチを社会の授業でしている時でした。
保守党についての歴史を調べようと、インターネットで「Conservative Party history」と検索しました。
驚いたことに、ヒットしたのはイギリスの保守党についてでした。
日本で「民主党」と検索したら、日本の民主党についての情報が出てくるでしょう。
「民主党 アメリカ」と検索しない限り、アメリカの民主党についての情報が出てくることはないはずです。
しかし、言語を共有していると、そのようなことが起きてしまうのです。
さらにもう一つの例を紹介したいと思います。
それは、同じく社会科でのリサーチ活動をしていた時の事でした。
僕はプレゼンテーションの準備で、ホームスクーリング(Homeschooling 学校に行かず家庭で教育を受けること)についての動画を探していました。
僕は、ホームスクーリングについてのニュース番組を見つけ、その一部をプレゼンテーションで利用することにしました。
驚いたことに、プレゼンテーションの後受け取った先生からの評価にはこう書いてありました。
「次はカナダでの動画を探してね」
どうやら、後で確認したところ、その動画はアメリカで作られたアメリカについてのものだったらしいのです。
僕は当然、カナダについての動画だと思ってプレゼンテーションをしました。
カナダとアメリカのホームスクーリングの制度について大きな違いがなかったからよかったものの、この弊害には驚きました。
インターネットを使って日本語で検索すれば、基本的に日本での情報が出てくると思います。
しかし、言語を多国間で共有している場合、その情報が自国のものとは限らないのです。
例えば、日本語で「我が国」と書いてあれば、それは日本の事を指していると分かりますが、英語書かれている場合はどの国をさしているのか分からないのです。
些細なことに思われるかもしれませんが、意外と大切なことだと思いませんか。
その情報がどこの国のものなのか、それはその情報の価値を正確に判断するための最も大切な判断材料のうちの1つだからです。