こんなことも「先入観」⁉ グローバルな視点って?
僕は留学して初めて、この言葉の意味を肌で感じました。
「常識とは18歳までに身につけた偏見の事である。」
かの有名なアインシュタインの言葉ですが、留学してみるとその言葉の意味を改めて実感することができました。
そして、常識だとすらも認識していないようなほど普通の事ほど意外と「常識」じゃないという事が分かりました。
カナダの友達が「?」を浮かべた文章
今回は、コロナウイルスによる休校中の日記の課題で僕が書いた文章を例に出してみたいと思います。
その日はコロナウイルスによって在宅ワーク、オンライン授業になり、家族と電話する時間が増えたという話について書いていました。
「現代人は仕事で忙しすぎて、家族と過ごす時間が少なくなっています。ですから、コロナウイルスが私たちの過ごし方をパンデミック後も変え続けてくれることを願います。」
しかし、この文章をカナダの友達に見せたところ、彼はクエスチョンマークを浮かべました。
曰く、「言っている意味が分からない」と言うのです。
1つ目の先入観
まず、初めの部分「現代人は忙しすぎる」という話ですが、「どうしてそう思うの?」と聞かれました。
彼は言いました。「僕の両親は5時には帰ってくるし、家族の時間が足りてないとは思わないよ」
「現代人は忙しすぎて家族の時間が取れていない」というのは実は日本人だからこその先入観だと僕は初めて気が付きました。
最近の日本のネットニュースなどを見ていると、「休校中に子供の勉強を見て、初めて子供の勉強の遅れに気づいた!」などとコロナウイルスによって家族の時間が増えたという話がたくさんあります。
対して、僕がカナダやアメリカのニュースを見る限りでは、そのような話題はほとんどないように思われます。
てっきり、「現代人は忙しい」という考えは世界共通の考えだと思っていました。
意識してないものにこそ先入観があるものだな、と少し恐ろしくも感じました。
2つ目の先入観
さらに2つ目の文についても疑問を投げかけられました。
「コロナウイルスが私たちの生活を変える」ってどういうこと?
僕は在宅ワークについて話しているつもりでした。
「パンデミック後も在宅ワークが定着するか」という話は日本では大きな話題になっていると思います。
ただ、この話題も海外ではあまりポピュラーではないという事に気が付いたのです。
まとめ
自分が書いたたった2文の文章の中に、自分の先入観が表れていることに驚きました。
コロナウイルスは世界共通の大災害、しかしそれによって得られる感情や情報は意外と国によって違うものでした。
グローバルに生きるという事がどれだけ難しいことか分かるのではないでしょうか。
普通に持っていた自分の価値観が先入観だと気付いた時の衝撃は本当に大きかったです。