障がいを持つ生徒たちに学校で何を教えたいのか ~カナダの特別支援教育担当の先生が語ったこと~
コロナ禍の中、障がい者教育を担当する先生とオンラインでお話しさせていただく機会がありました。
今回はその先生が話してくださった「障がいを持つ生徒たちに学校で何を教えたいのか」という事について書いてみようと思います。
○○を教えたい
先生はこうおっしゃっていました。「生徒たちにはどうやって自分たちをソーシャライズ(Socialize)させるのか学んでほしい」
ソーシャライズ(Socialize)という言葉は日本語にするのが難しい単語だと思いますが、社会生活に適合させる、社交的にする、というような意味です。
社会生活に適合させるなどと言うと怖いイメージがしますが、要は他人に頼って生きていくのではなく自分の力で生きていくという事だと思います。
先生のこの目標を聞いたとき、僕はとても納得しました。
僕が今まで学校の中で見てきた色々なものが、この目標に確かに繋がっていると感じることができたのです。
例1、10年生(高校生)からの就労経験
まず日本とは違い、カナダでは就労経験やボランティア経験が高く評価されます。実際、ほとんどのカナダの高校ではこれらの経験を一定時間以上行うことが卒業の条件になっているところも多いです。
ただ、特別学級ではこの就労経験を学校の時間割の中に組み込んでいます。
しっかりとサポートを受けられるところで、クラスの仲間と一緒に就労経験を積めるのです。
生徒に任せきりにしないで、ハードルの高い部分、特に大切なところはきちんとフォローしていることは簡単なようでとても大切なことだと実感しています。
例2、スターバックスで働く友達
障がいを持つ友達がある日僕に言いました。「実は来週からスターバックスでアルバイトすることになったんだ」
もちろん、高校卒業に就労経験やボランティア経験が必要で、多くのカナダの高校生がアルバイト経験を持っていることを考えれば、全く特別な事ではないのかもしれません。
しかし、前述したような学校のサポートを受けた職場ではなく、「普通の」カフェで、あの有名なスターバックスで働くという事に驚きました。
スターバックスに採用された彼の頑張りとスターバックスの採用スタイルに感服しました。
彼は卒業が近い12年生です。10年生からの就労経験がスターバックスでのアルバイトにつながっているのではないかと思います。
例3、普段からの「自分の事は自分でする」という考え
僕はクラスの中で、特別学級の生徒とそのサポートの先生との会話をたくさん聞いてきました。
その中で僕が気が付いたのは、サポートの先生はサポートという立場に徹しているという事です。
「生徒が自分でできることは、出来るだけ手出しをしない」「代わりにやってあげるのではなく、アドバイスをする」
このような姿勢を貫いていることが分かりました。
この姿勢が「仕事を得て、自立した生活を送る」という事につながっているのだと実感しました。
例4、人との適度な距離
これは大きな美点でもあると思うのですが、知的障がいを持つ人の多くは人との適度な距離をとるのが不得意なことが多いようです。
僕自身は彼らのそのような面にとても救われました。
まだまだ人に声をかける勇気がなかった9月ごろは、障がいを持つ友達がたくさん話しかけてくれてとても嬉しかったです。
ただ逆に彼らはそれが行き過ぎてしまうことがあるようです。
例えば、誰でも一人になりたい時などはあると思います。
そのような人の感情を尊重できるように、適度な距離を保ちながら人と関わることを教えたいと、先生は教えてくださいました。
まとめ
この記事を書いていて気づいたのは、実はこれは特別支援教育だけの話ではないという事です。
「就労経験」も「自分の事を自分でする事」も「人との適度な距離を保ち、相手を尊重すること」も全ての人が学ばなくてはいけない大切なことだと思います。
教育全体が特別支援教育から学ぶことができる、学ぶべきだと感じました。
こんなことも「先入観」⁉ グローバルな視点って?
僕は留学して初めて、この言葉の意味を肌で感じました。
「常識とは18歳までに身につけた偏見の事である。」
かの有名なアインシュタインの言葉ですが、留学してみるとその言葉の意味を改めて実感することができました。
そして、常識だとすらも認識していないようなほど普通の事ほど意外と「常識」じゃないという事が分かりました。
カナダの友達が「?」を浮かべた文章
今回は、コロナウイルスによる休校中の日記の課題で僕が書いた文章を例に出してみたいと思います。
その日はコロナウイルスによって在宅ワーク、オンライン授業になり、家族と電話する時間が増えたという話について書いていました。
「現代人は仕事で忙しすぎて、家族と過ごす時間が少なくなっています。ですから、コロナウイルスが私たちの過ごし方をパンデミック後も変え続けてくれることを願います。」
しかし、この文章をカナダの友達に見せたところ、彼はクエスチョンマークを浮かべました。
曰く、「言っている意味が分からない」と言うのです。
1つ目の先入観
まず、初めの部分「現代人は忙しすぎる」という話ですが、「どうしてそう思うの?」と聞かれました。
彼は言いました。「僕の両親は5時には帰ってくるし、家族の時間が足りてないとは思わないよ」
「現代人は忙しすぎて家族の時間が取れていない」というのは実は日本人だからこその先入観だと僕は初めて気が付きました。
最近の日本のネットニュースなどを見ていると、「休校中に子供の勉強を見て、初めて子供の勉強の遅れに気づいた!」などとコロナウイルスによって家族の時間が増えたという話がたくさんあります。
対して、僕がカナダやアメリカのニュースを見る限りでは、そのような話題はほとんどないように思われます。
てっきり、「現代人は忙しい」という考えは世界共通の考えだと思っていました。
意識してないものにこそ先入観があるものだな、と少し恐ろしくも感じました。
2つ目の先入観
さらに2つ目の文についても疑問を投げかけられました。
「コロナウイルスが私たちの生活を変える」ってどういうこと?
僕は在宅ワークについて話しているつもりでした。
「パンデミック後も在宅ワークが定着するか」という話は日本では大きな話題になっていると思います。
ただ、この話題も海外ではあまりポピュラーではないという事に気が付いたのです。
まとめ
自分が書いたたった2文の文章の中に、自分の先入観が表れていることに驚きました。
コロナウイルスは世界共通の大災害、しかしそれによって得られる感情や情報は意外と国によって違うものでした。
グローバルに生きるという事がどれだけ難しいことか分かるのではないでしょうか。
普通に持っていた自分の価値観が先入観だと気付いた時の衝撃は本当に大きかったです。
カナダでインクルーシブ教育を行う先生が考える「大事な事」
先日、僕の通う高校でインクルーシブ教育を行っている担当のM先生とお話しする機会がありました。
インクルーシブ教育の最前線で働く人たちは何を考えながら、働いているのでしょうか。
今日はM先生が話してくださったことをお伝えしたいと思います。
なぜ、この職を志したか
M先生は高校生の時、コミュニティーセンターでボランティア活動をしていたそうです。
ちなみに、カナダの高校生にとってボランティア活動や仕事をする経験は大学に進学するのに必須です。
その中でもコミュニティーセンターでのボランティアは最も一般的なものと言っていいでしょう。
実際、僕もカナダのコミュニティーセンターでボランティアをしていた経験があります。
話はそれましたが、M先生にとってこのボランティア活動が人生を変える経験になったそうです。
M先生が高校生だったのは1980年代、下の記事でも説明しているようにまだまだインクルーシブ教育は一般的ではなく、インクルーシビティもバンクーバーに広がっているとは言えない状況でした。
そんな中で、M先生はコミュニティーセンターで出会った障がいを持つ人ととても良い友達になったそうです。
これは僕もカナダの高校で、知的障がいを持つ友達と関わって感じたことですが、彼らは本当に優しいです。
僕自身も彼らの優しさに救われたことがたくさんあります。
しかしそれと同時に、M先生は彼らが差別的に扱われていることにショックを受けたそうです。
そして、その経験によってM先生は特別支援教育、インクルーシブ教育という分野に進むことを決めました。
インクルーシブ教育を進めるうえで大切なこと
As Many Choices as Possible
M先生との話の中で一番心に残ったのがこの言葉です。
「生徒たちは一人ひとり違うから、私は彼らにできるだけ多くの選択肢を示してあげたい」
なるほど、これがインクルーシブ教育の成功の秘訣かもしれないと思いました。
「多くの選択肢を示し、生徒自身とその親と話したうえで最善の道をとりたい」とおっしゃっていました。
どんな教科をとるのか。どんな課外活動をするのか。
同じ高校に通っていても、教科の取り方で学校生活は180度変わります。
ひとまとめに扱われるのではなく、個々の興味や関心、得手不得手などを考慮したうえで最善の道を模索するのは、障がいの有無に関わらず大切なことだと感じます。
現在、M先生のクラスには15人の生徒がいるそうです。
人数が増えるにつれ、一人ひとりのニーズに合わせるのは大変になってきたそうですが、これからもそれぞれの生徒に合わせた教育をしたいとおっしゃっていました。
スタッフ、教員との目的の共有
学校でのインクルーシブ教育に関わるスタッフの人数が増える中で、全員が同じ目的をもって同じ方向に進むことは大切だと感じていると教えてくれました。
M先生は、生徒たちが最終的に仕事を持ち、自立した生活ができるようになってほしい、と話していました。
そのために、近くのスーパーで働くという職業訓練の授業もグレード10、つまり日本での高校1年生から行っているそうです。
この目的の共有という話は、特別支援教育という分野以外でも同じことだと思います。
モンテッソーリ教育のように、障がい者に対する教育は実は一般的に考えても重要な事だったりするのではないでしょうか。
まとめ
M先生が話してくれた2つの大切な事。それは、思っていた以上に普遍的な事でした。
ただ、それがどれだけ大切かは自分自身も留学生と言うマイノリティ、サポートしてもらう立場になって初めて実感しています。
インクルーシブ教育がどのように行われているのかを知ることは、教育全体について考えることにも役立つのではないでしょうか。
バンクルーバーでインクルーシブ教育が一般的になるまで ~1970年代からの急速な変化~
今日、カナダ、バンクーバーは多様性を認め、マイノリティの人々を受け入れる社会として有名です。
例えば、街を少し歩いてみると分かるように、世界中の様々なバックグラウンドを持つ人々がバンクーバーにはいます。
またLGBTQ+のコミュニティやレインボーパレードが有名なように、バンクーバーではゲイやレズビアンのカップルなどもよく見かけると思います。
多様性はカナダの代名詞と言ってもいいほど、意識されているのではないのでしょうか。
ただ、そんなカナダも最初からそんな「良い国」だった訳ではありません。
今回は、バンクーバーでの障がい者教育がどのように変化してきたのかに焦点を当ててみたいと思います。
どのようにしてインクルーシブ教育がバンクーバーに広がっていったのでしょうか。
インクルーシブ教育の歴史
1970年代のバンクーバーでは、まだインクルーシブ教育は全く取り入れられていませんでした。
今の日本の教育のように、障がいを持った生徒は他の生徒とは違う学校に通っていたそうです。
しかし、そのような現状に疑問をあげたのが障がいを持った生徒の親だったそうです。
どうして、障がいを持つ生徒は「普通の」学校に入れないのか。
障がいがあっても、「普通の」家から一番近い学校に、他の子供たちと同じように通う権利がある。
そう考え、学校側に働きかけていったそうです。
結果、1980年ごろから障がいを持つ生徒も他の子供たちと同じ学校に通うようになり、インクルーシブ教育が本格的に広くバンクーバーで始まりました。
そして現在、小学校では特別学級はなく、全ての生徒が障がいの有無にかかわらず同じ教室で学んでいるそうです。
ただ、どんなインクルーシブ教育がどの程度行われているのかは、学校や学区によって違います。
例えば、僕の通う高校では特別学級がありますが、その中でも希望する生徒は体育や芸術などの科目を他の生徒と同じようにとることができます。
それに対して、他の高校では障がい者に対する授業が全て特別学級で行われているところもあるようです。
カナダでのインクルーシブ教育と言ってもその内容に差があることは確かでしょう。
ただ僕が言えることは、たった50年前にはなかったインクルーシブ教育が今はバンクーバーで当たり前になりました。
急速に変化したと言えるのではないでしょうか。
カナダのインクルーシブ教育 ~本当のインクルーシビティとは~
皆さんは「インクルーシブ教育」という言葉を聞いたことがありますか?
日本ではまだ馴染みのない言葉かもしれません。
インクルーシブ教育とは、「障がいを持つ生徒も持たない生徒も一緒に同じ学校、同じ教室で学ぼう」という考え方です。
カナダはこのインクルーシブ教育、そして社会全体のインクルーシビティを重視し、実践している国です。
僕がカナダに留学する大きな目的の一つがインクルーシブ教育について学ぶことでした。
今回は僕がバンクーバーの高校に通う中で、実際に肌で感じたことを紹介したいと思います。
「どこを区別し、どこを一緒にするのか」
インクルーシブ教育と言っても、「みんな同じ教室で学べばいいだけ、みんな同じ教室に放り込もう」、というのは完全に間違った考え方です。
言葉にすると、「そんなのは当然だ」と思われる方が多いかもしれませんが、実際はこの気づかずに犯されている間違いによって、日本のインクルーシブ教育が上手くまわっていないのだと思います。
「インクルーシビティ」「包括性」と言っても、何もかもも一緒にすればいい訳ではありません。
個々のサポートが必要なところは、その生徒に応じた違うサポートをするというのが、本当のインクルーシブ教育なのです。
高校のインクルーシブ教育
僕の通うバンクーバーの学校は知的障がいを持つ生徒がたくさんいます。
今回は実際に、どのようにインクルーシブ教育が行われているのか紹介したいと思います。
特別学級
まず、高校の中には特別学級があります。
障がいを持つ人、特別なサポートが必要な人がこのクラスに入っています。
このクラスには15人ほどの生徒に4人の先生がついています。
他のクラスにはないホームルームが行われていたり、パソコンルームでのIT授業や職業訓練で近くのスーパーで働くというようなこともやっているようです。
ここまで読んで、「日本と同じだ」「普通だ」と思った方、
そうなんです。何度も繰り返しているように、インクルーシブ教育と言ってもただ特別学級を廃止すればいいという訳ではないのです。
アカデミックな科目は?
基本的に、アカデミックな科目、英語、数学、理科、社会などは、基本的に分かれて授業を行います。
障がいを持つ生徒は特別学級で授業を受けたり、学年を少し下げたクラスに入っていることもあるようです。
もちろん、特別学級以外のクラスで授業を受けるときはサポートの先生がついています。
ノンアカデミックな科目は? 体育など
体育や美術などのアカデミックでない教科は、他の生徒と同じ授業に出席することが多いです。
そして言うまでもなく、そのような場合はサポートの先生がついています。
ただ、サポートの先生の割合はアカデミックなクラスに比べると低いようです。
2~3人の生徒に一人の先生と言うような割合でしょうか。
生徒の希望に応じて、どんなクラスを取るか決めている。そんなイメージです。
この「柔軟さ」こそが、インクルーシブ教育の一つのキーワードではないかと思います。
特別学級に入らない生徒も
実は、障がいを持っていても特別学級に入らなくてはいけないという訳ではないのです。
ある生徒は軽い知的障がいを持っていますが、完全に他の生徒と同じような授業を取っています。
勘違いしないでほしいのは、この生徒さんにもしっかりサポートの先生がついているということです。
まとめ
おそらく、インクルーシブ教育を実践するのには、多くの時間とお金がかかると思います。
決して、インクルーシブ教育が障がい者に対する教育費の削減などと言う名目で動いているわけではありません。
今、説明して分かったように、インクルーシブ教育を実践するためには、たくさんのサポートが必要なのです。
もしかしたら、完全に別々の学校に通うより多くのお金が費やされているのかもしれません。
しかし、僕はこのインクルーシブ教育はそれだけの価値があると思います。
「会社で何%障がい者を雇用しなければならない」などと言っても、別々に教育を受け、別々に育ってきた人たちがそんなことを簡単にできる訳がないじゃないですか。
小さいうちからインクルーシブな世界で育つことで、「普通に」障がいを持つ人も持たない人も一緒に社会で暮らしていけるような価値観が育つのだと思います。
そして、僕自身もインクルーシブ教育によって助けられ、学ばされました。
初めてのカナダの学校で緊張していた9月、明るく声をかけてくれたのが特別学級の生徒の一人でした。
特別学級の生徒はみんな優しく、もちろん今でも僕のとてもいい友達です。
彼らと友達になれて、本当に良かったなと心の底から感じています。
新型コロナの影響はこんなところにも⁉ ~広告の変化~
コロナウイルスは様々な事に影響を及ぼしています。
今日はその中でも、広告について話していきたいと思います。
コロナウイルスがもたらした大きな2つの広告の変化は何でしょうか。
【広告内容】ドライブスルーを宣伝⁉
まず、特筆すべきは宣伝の内容でしょう。
例えば、最近はお店の中で食べることはできないがドライブスルーを行っていることを宣伝する企業が多いです。
他にも、「この大変な時期にも、私たちはコミュニティに寄り添います」というような内容を伝える宣伝もあります。
通常時であれば、このような宣伝はながれないでしょう。
特に、人々が家の中にいることが推奨され、ほとんどのお店が閉められている今、通常通りの宣伝をすることにあまり意味はないのだと思います。
さらに、あるピザ店は「高温の窯の中で焼き上げられた後は、誰の手も触れられずにデリバリーされます」という宣伝をしていました。
まさに、コロナウイルスの感染拡大を意識した宣伝です。
【広告映像】簡単な映像の組み合わせ⁉
テレビでの宣伝と言えば、多くのお金をつぎこみ、豪華な映像を作ることが多いと思います。
しかし、今の宣伝は静かな雰囲気のものが大半を占めます。
大きな動きのない映像に、静かな声で内容を読み上げる。
そのような宣伝が増えてきているように感じます。
さらに、新しい映像を撮ることができないため、単色の背景に白抜きの文字を置いただけというような簡単なバックグラウンドの宣伝もあります。
確かに、関係者で集まって撮影をすることが難しい今の状況では、このような映像での広告が多いのも無理はないでしょう。
まとめ
様々な側面に影響を及ぼしているコロナウイルス。
早くこの状況が収束してくれることを願うばかりです。
カナダでの寿司 ~世界中で愛されている寿司~
カナダに来て、日本食が思った以上に世界に認められていることに驚きました。
そして、やはり日本食の中でも最も有名なのは「寿司」でしょう。
“Sushi”という言葉は英語の1単語として普通に使われていますし、バンクーバーにはたくさんの寿司料理店があります。
それはバンクーバーに大きな日本人コミュニティがあるからだ、ということもあると思います。
それにしても、バンクーバーの寿司料理店の数は日本のそれを凌駕しているのではないかと思うほどです。
僕の感覚では、ちょっとした商店街には1ブロックに1つほどの割合で寿司料理店があるように思われます。
もちろん、その全てが日本式の寿司料理店ではないでしょう。
“Sushi”と言っても、実際はカリフォルニアロールばかりだったりして予想とは違ったという経験は、一般的すぎてここでもう一度言う必要はないと思います。
さて僕が今回紹介するエピソードは、いかに日本食がたくさんのカナダ人に愛されているかという話です。
それは、僕が所属する部活の一番最初の集まりでの事でした。
自己紹介の1つとして、自分の好きな食べ物を言っていくことになりました。
その時に、「寿司が好きだ」と言ってくれたカナダ人が何と3人もいました。
15人中の3人です!
これはかなりスゴイ数字だと思いませんか。
「寿司は好き?」と聞いて、「好きだよ」と答えてくれる人はたくさんいるでしょう。
しかし、一番好きな食べ物でお寿司を選んでくれる人がこんなにいるという事に感動しました。
やはり、お寿司は最高の食べ物ですよね!